1.前提として
労災保険の請求者は、原則として労働災害にあった労働者本人又はその遺族です。すなわち、労働者や遺族には固有の権利として労災保険の請求権が認められるのです。したがって、労災申請に事業主の同意や許可は必要ではありません。
実際に労災申請手続を行うのは事業主であることも多いと思いますが、これは書類の作成や申請手続を代行しているだけであって、事業主が労災保険を請求しているわけではありません。
2.どうして勤務先の協力が得られないのか
このように、労災申請自体は労働者や遺族の権利として申請できるのですが、申請書類には事業主の証明欄があって、事業主から記名押印をもらう必要があります。この証明欄は労働者と事業主の間に雇用関係が成立していること、つまり労災保険が適用される関係にあることを証明するだけの欄で、事業主に労災申請への同意権や許可権限を与えたものではありません。
しかし、事業主としては、労災事故が発生したとなると、労働基準監督署(労基署)の立ち入り調査を受けたり、労災保険料が増額したりするので、しばしばこの証明欄への押印をめぐって争いになることがあります。
他にも、申請書類に記載する事故の発生状況をめぐって、労働者と事業主の認識が食い違う場合には、事業主の協力を得られないことも少なくありません。
3.勤務先の協力義務
しかし、そもそも事業主は法令上労働者の労災請求について助力・協力する義務を負います(労災保険法施行細則23条)。したがって、労災申請が事業主にとって不利益をもたらすからと言って、労働者の労災申請に反対したり、証明欄への押印を拒否したりするのは本来違法なことです。
そもそも労災事故が発生した場合、事業主は遅滞なく労基署にそのことを報告する義務を負います。しかし、現実には上述のような不利益を嫌って、事業主が労災事故の報告を怠る事例が後を絶ちません(いわゆる「労災隠し」です)。
4.勤務先の協力が得られない場合
労災申請に事業主の協力が得られない場合には、以下のような対応が考えられます。
(1) 文書による申し入れ
まず労働者や遺族が直接事業主に対し協力を申し入れることが考えられますが、口頭でのやり取りだと客観的な裏付けが残らないので、文書で申し入れるようにしてください。最も固い裏付けは内容証明郵便で送ることです。
文書で事業主に申し入れても協力を得られなかった場合には、当該文書の写しを添付し、証明欄を敢えて空欄のままで労災申請することもあります。
(2) 労基署への相談
端的に労基署へ相談するという方法も考えられます。労災申請は労働者の権利ですので、事業主の協力が得られない事情を説明すれば労基署で柔軟に対応してもらえた事例もあるようです。労災隠しに関する相談窓口を設けている労基署もあるので、利用を検討してみるのもよいでしょう。
5.それでも協力が得られない場合
以上のような対応を試みると、ほとんどの場合事業主は労災の申請に協力してくれますが、それでも応じないという場合には弁護士に相談することも考えましょう。事業主が任意に協力しないケースでは、事業主側に悪質な安全配慮義務違反があることも少なくないので、事業主に対する民事上の損害賠償請求も視野に入れて検討することになるでしょう。